
「あと5年も経ったら、“よしもと”はこの世から無くなってるんちゃうやろか……」 吉本興業の大﨑洋会長は、コロナ禍の最中に、そんな危機感を覚えたという。 【写真】この記事の写真を見る(8枚) 2009年に吉本興業の社長に就任し、お笑い芸能事務所から総合エンタメ会社へと大きく成長させ、昨年からは会長職に就いた大﨑洋さん。 これまでは「裏方の自分は表に出ないということをよしとしてやっていく」と考えていたが、「去年の騒動もあり、ちゃんと発信していかないといけないと考えるようになった」という大﨑さんは、昨年末から、トークショーやラジオ番組などで自ら語る場を設けるようになった。そこでさまざまなテーマについて語ったことが、このほど『 吉本興業の約束 エンタメの未来戦略 』(文春新書)にまとまった。対話の相手は、キングコングの西野亮廣さんに紹介され、会ったその日に意気投合し、吉本の社外役員になることを頼んだという『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称『ビリギャル』)著者の坪田信貴さん。 所属タレント約6000人を擁し、多くの人に笑顔を届けながらも、時には問題も起こり批判の矢面に立たされることもある中、吉本興業はいかにして、タレントとの信頼関係を築き、時代の変化に対応しようとしているのか。 『吉本興業の約束 エンタメの未来戦略』の中から、漫才コンビ、ハイヒールのリンゴさんとモモコさんをゲストに迎え、タレントとマネージャーの関係について語り合った部分を紹介する。
掃除が日課の窓際社員と、期待されない養成所の1期生
大﨑さんとハイヒールのふたりが出会ったのは1982年。大﨑さんは、漫才ブームの時に、吉本が急遽作った東京の連絡事務所で勤務した後、大阪へ戻る辞令が出て、新人養成所として開校されたばかりのNSC(吉本総合芸能学院)の担当に。期待されてない、いわば窓際の部署だったが、そこでNSCの1期生として入学してきた、ダウンタウン、ハイヒール、トミーズたちと出会った。当時、大﨑さんが出社していちばん最初にやることは、NSCの校舎まわりを掃除することだったという。 リンゴ その頃、同期の女の子が、「ここ、掃除して」って言うたら、大﨑さんモップもってきて、ほんまに掃除してはりましたよ。 坪田 モモコさんが大﨑さんのことを「初めて私にいろいろ教えてくれた大人です」とおっしゃってたんですが。その言い方はちょっと意味深長だと思っちゃいました(笑)。 モモコ そんな変な意味じゃなくて。私はド不良のヤンキーで、なんも知らんで、吉本に入ったから。そこで出会った大﨑さんから、一から教えてもらったんです。 大﨑 アホがアホに教えただけやねんけど。 モモコ ほんまに、そんな感じで。私はお笑いのことはもちろん、一般常識もなんも知らんかったから。ラジオの周波数の合わせ方から教えてもらいました。 師匠に弟子入りして修業をしないと芸人になれなかった時代に、養成所でお笑い芸人を育てることには批判も風当たりも強かったという。期待されていなかったNSC1期生のマネージャーを大﨑さんは自ら買って出て、どう売り出していけばいいか、策を練っていったという。 リンゴさんは大学在学中に、モモコさんは高校中退後にNSCに入学。そこで出会ってコンビを結成。「女子大生と元スケ番」という異色の漫才コンビ・ハイヒールとして売り出したが、まずテレビ番組のレギュラー出演が決まったのは、モモコさんひとりだった。
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August 20, 2020 at 09:01AM
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ダウンタウン松本が「いかに浜田が嫌いか」を国際電話で8時間話したあの頃(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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