能登半島地震では半島の北側の広い範囲で、国内の観測史上、最大規模の地盤隆起が起こったことが明らかになってきた。漁港の海底は干上がり、漁業再開は極めて難しい状態に陥っている。津波の観測にも支障をきたした。研究者も衝撃を受けたという地殻変動はなぜ起こったのか。
海底露出で津波観測計も機能せず
日本地理学会によると、今回の地震で、能登半島の北側の海岸線が約90キロの範囲で沖方向に広がった。特に隆起が大きかった石川県輪島市門前町黒島町では、海岸線が約240メートルも沖側に前進したことが確認されている。海岸線の地盤は、最大で約4メートルも隆起して高くなった。
県の漁獲量は2021年、全国で19番目を記録した。大半は、豊富な魚礁がある能登半島で水揚げされたものだ。特に半島北側の「外浦」と呼ばれる海域ではこの時期、ズワイガニやアカガレイなどの漁が最盛期を迎える。しかし、輪島市や珠洲市、志賀町の19港で、地盤隆起による被害が出た。現地を歩くと、変わり果てた港とともに、途方に暮れた漁師たちの姿があった。
「もう船は出せん。漁業は終わりや」
珠洲市の長橋漁港は、高齢の兼業漁師が6人所属している。漁師の鍛冶鉄雄さん(67)は、港を見つめながら嘆いた。
1日の地震発生後、大津波警報が出たため鍛冶さんはすぐに高台に逃げた。そこから海を見下ろすと、波打ち際が普段よりもはるか沖の方にあった。「大津波の前の引き波だ。すごいのが来るぞ」。夜になっても月明かりを頼りにずっと海を見ていたが、大津波は来なかった。
翌日、港を確認しに行って仰天した。水深約2・5メートルあった港内は、まるで渇水で干上がったかのように海水がなくなり、海底があらわになっていたのだ。サザエ漁が中心で、海底にいる魚を取る刺し網漁もしてきたが、これでは船を出せない。鍛冶さんは「年金と漁業で生活してきた。漁がなくなったら痛い」と言う。
同じ珠洲市内の狼煙(のろし)漁港の高屋地区は遊漁船も含めて15隻が係留され、専業の漁師が14人いる、市内では大規模な漁港だ。地震で約2メートル隆起した結果、港内の水深が1・5メートルほどまで浅くなり、漁船が動けなくなっていた。
さらに、サザエやアワビの主な漁場になっている近くの岩場は、隆起して海面から露出してしまった。
元の港に戻すには、広範囲にわたって海底を掘るなどの大規模な工事が必要になるとみられる。県漁協すず支所高屋出張所の吉田峰生所長(65)は「漁師は高齢者が多い。何年も漁に出られないなら、廃業する人も多いのではないか」と肩を落とした。
県によると、18年の県内の漁業就業者数は2409人で、10年前と比べて4割減った。さらに、その半数超が60歳以上だ。地域の漁業は、就業者の減少と高齢化という深刻な問題に直面していた。地震とそれに伴う大規模な地盤隆起は、既に弱っていた漁業に対して、先を見通せなくなるほどの大打撃を与えたのだ。
地盤の隆起は、防災情報の伝達にも課題を突きつけた。
14日、輪島市の輪島港に、背丈を超える高さの大型機器がクレーンで運び込まれた。「地盤隆起が、津波を観測できなくなった原因とみられる」。国土交通省港湾局の瀬水幸治係長は、集まった報道陣の取材に対してそう説明した。
この日設置されたのは、新しい津波観測計だ。地震前、能登半島の北部には、輪島港と、そこから北東に約25キロ離れた珠洲市内に、二つの津波計があった。
しかし、珠洲市の観測計は地盤が隆起して海底が露出したため、地震直後から津波を計測できなかった。輪島港の津波計も、最大震度7の地震発生から11分後に、「1・2メートル」を計測したのを最後に止まってしまった。隆起によって内部の機器が損傷した可能性が高いという。
気象庁は1日の地震発生当日、津波の最大値を「1・2メートル以上」と発表するしかなかった。しかし実際には、珠洲市などの沿岸を4メートル超の津波が襲ったと判明している。【阿部弘賢、露木陽介】
最大規模、陸側の地盤が海側に乗り上げる
産業技術総合研究所・地質調査総合センターの宍倉正展グループ長の研究チームは8日、地盤隆起が特にひどかった石川県輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港を現地調査した。夏には、地元名産のスルメイカ漁の拠点となる漁港だ。
つい1週間前まで海水で満たされていた漁港は干上がり、海底にあったはずの岩礁が地上にあらわになっている。それは沖合の方向に100メートル以上も続き、海水がなくなって息絶えたサザエやアワビなどがごろごろと転がっていた。岩礁に降りて、防潮堤の壁面に張り付いた貝やゴカイの位置から地震前後の海面の高さを比較すると、漁港は約4メートルも隆起していたと判明した。
宍倉さんは、地質から過去の地震像を解き明かす第一人者だ。30年以上にわたって日本各地の地盤隆起を調べてきた。千葉県の房総半島には、1703年に発生したマグニチュード(M)8・2の元禄関東地震で約6メートル隆起した痕跡が残っているが、「日本列島で科学的な観測が始まった明治以降では、最大の隆起だ」と強調する。
なぜ、能登半島地震でこれほど大規模な隆起が起きたのか。
今回の地震は、能登半島のすぐ北の海底を東西に走る活断層が動いて起きた。その断層面は、陸側の地盤が海側の地盤に斜めに乗り上げるような動きでずれる。そのため、陸側の地盤上にある半島がせり上がるように隆起したのだ。
能登半島は、過去の地震による隆起の繰り返しで形成されたと考えられている。実際、2007年の能登半島地震(M6・9)後の調査でも、宍倉さんたちは約50センチの隆起があったのを確認した。
それとは別に研究チームは地震前、能登半島の北側に「海成段丘」という地形を見つけていた。階段状になった海岸線の地形で、計3段あった。直近の約6000年前以降にできたと推定されたが、どの程度の規模の地震で段丘ができるのかは分からなかった。
そんな中、今回のM7・6の地震が発生し、調査で新たに「4段目」の段丘ができているのが確認された。宍倉さんは「数千年サイクルで今回のような規模の地震が起きて、海成段丘ができることが分かった。(国が地震の発生確率を予測する)長期評価などで、海成段丘の痕跡を利用できる可能性がある」と指摘する。
一方、日本地理学会が航空写真や衛星写真を分析したところ、今回の隆起で新たに「陸化」した総面積は4・4平方キロに及ぶことが判明した。沈降した場所は、半島東側のごく一部に限られていたという。
陸化した面積は、甲子園球場約114個分に相当する。国土地理院が公表する都道府県の面積を基に単純に足し合わせれば、全国34番目の福井県(4190・54平方キロ)と35番目の石川県(4186・2平方キロ)の順位が入れ替わるほどの規模だ。
同学会で分析を担当した広島大の後藤秀昭准教授は「断層面が半島の真下に位置したことで、大きな隆起になった。恐らく地形は元に戻らないのではないか」と指摘。国土地理院によると、隆起による地形変化を地図に反映する計画は今のところないが、担当者は「埋め立てなどを除けば、これだけ大きな変化が起きたというのは聞いたことがない」と話している。【柳楽未来、藤河匠】
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